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Category: 雑記
出発時刻を過ぎたTGVのチケットの払い戻しは現地では難しいとは分かっていました。そりゃTGVはエールフランスのストライキとはなんの関係もないわけで、これは致し方ないですね。窓口で聞いても新たに購入することになってしまうようで、それならばとにかく出来るだけ速くトゥールーズに到着するTGVに乗りたいところです。

日本のJRと違うのは、値段が結構まちまちだったりして、列車の出発時刻によって値段が異なったり、購入する代理店によって異なったり、ちょっとなにが適正な値段なのか良く分かりません。というか「適正」とかそういう問題でもないのでしょう。提示した価格で納得がいくなら買う。納得がいかぬのなら買わぬ。

日本で買ったときよりは高めでしたが、2倍違うというわけでもなく、とにかく今日の日付が変わる前にトゥルーズに到着できるようで有り難いです。


シャルル・ド・ゴール空港第2TGV駅構内です。

実は、到着するまでシャルルドゴール空港からTGVに乗れるとは知りませんでした。日本から取ったチケットはパリのセンター部にある駅からの発車だったので、てっきりそこまではバスとかで行かなければならいのかと思っていました。不勉強。



TGVが到着しました。
日本人としてはやはり新幹線と比べてしまいます。
新幹線は在来線と軌道も違うのでなんだか「特別」な感じがしますが、TGVは見た感じは普通の特急といった風情です。とはいえ、最高速度は320km/h。これはかなり速くで、東海道新幹線の営業最高速度よりも速いです。





車窓はほとんど・・・といって良い程、こんな感じの風景でした。農地か林か、稀に人家か・・・みたいな。起伏も少なかったし、フランスは農業国なんだなぁと実感として良く分かりました。
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フランスは過去に「2時間」ほどだけ滞在した事があります。
飛行機のトランジットがパリのシャルルドゴールで、3~4時間ほど時間があったので、その隙に市の中心部まで行こうとしたのです。

忘れもしない思い出・・・。

シャルルドゴールのターミナルのすぐ外にある、市の中央まで行くバスのチケット売場のおじさんに私は尋ねました

'Do you speak English?'
と。

世界有数の国際空港のバスチケット売場。まさかそこにいる人が、英語を話さない訳はありません。答えはもちろん'Yes'に決まっています。

私が耳にしたその答えは

'No!'

・・・これはフランスでは良くあることだと思うので、今となってはなんとも思いませんし、そもそも気にせず最初から英語で喋りかけるべきだったのですが、当時はびっくりしました。

なんて不親切な国なのだろう!と思いましたが、あっけにとられている私を見かねて、年上の女性が可哀想にね・・・と'通訳'してくれたので、実は親切な国なのです。彼らはフランス語を愛しているのでしょう。

と、そんなトラウマ(ちょっとオーバー)があったので、今回はなんとかそのリベンジをしなければなりません。

というわけで、次のような方針で臨みます。

(1)Bonjour(こんにちは)と挨拶
この一言に、フランス文化への最大限の敬意を込めます。「あぁ、こんな歴史ある国へ来られた私はなんて幸せなんだろう。いやぁ、嬉しいです。こんにちは!」と。明るい微笑みとともに。

(2)その後の2言め以降は英語
有無も言わさず英語。国際的にやっぱり英語を話しますよ。旅行者は。
だってしょうがないじゃーん。
私が知っているフランス語、BonjourとÇa va?(元気ですか?)だけでは如何ともしがたい。ないカードは切れないです。
とはいえ、私はあなたとコミュニケーションを取りたいので、私の知っている言葉で頑張ります・・・
というそんな想いを込めて。

そんな方針のもと、乗り遅れたTGVのチケットの振替とか、次の列車の手配を早速しなければなりません。
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ブダペストからパリへの飛行機のフライトが朝の6:50とかなり早め。エアポートミニバスに送迎を頼むと、「4時頃迎えに行く!」とか言われてしまい、そうなると朝の3時半には起床することになり、かなりハードなスケジュールに。こっちは頑張るけど、私が出て行く時の戸締まりをお願いしなければならない大家には大変申し訳ない。。。(本当に有り難うございます。アンドラーシュ)

とにかく有り難いことになんとか朝早く空港にたどり着くことができました。そして「さぁ」とばかりにチェックインしようとする。しかし、なぜか受け付けてくれない。よく見ると「問題が発生したのでカウンターに来てくれ」という旨の表示がディスプレイに・・・。なんだこりゃ。

エールフランスのカウンターの女性に尋ねたところ「ストライキになってしまってキャンセルになったの」と。「えーーー、ストライキーーーー!?」

うーむ。朝3時半に起きたのはなんだったのか。
(T-T)

いやいや、困った。パリ着の後、数時間後にはTGVに乗ってトゥールーズに向かうのだ。決して余裕はない。

「いま代替の飛行機を探しています」
「お願いします」

と端末をカタコトと操作して待つこと1分ほど。

「よかった。取れました。ヒュースロー経由になります」
(ロンドンか。遠回りだけどしょうがないね)

「トランジットはX時間で、羽田着は翌日の・・・」
「違ーーーう!!まだ日本には帰りません!!パリに行きます。パ リ!!日本に帰るのは23日。パリでストップオーバーです。」

おー、怖い怖い。(^^;

結局、チューリッヒ経由のスイスエアーを取ってくれました。
しかし、パリの到着時間はTGVの発車時刻の後。
困ったなぁ。


スイスエアーの出発までかなり時間があるので、ひたすら待ちます。

あらためて思う。3時半起きはなんだったんだ?(T-T)
ストライキはストライキ。
飛行機は飛行機。
待ちは待ち。


そして、チューリッヒの空港の掲示板のコンピュータはマスターデータの取得に失敗し・・・


割と小さめだけど、「乗り込む」感覚がなんだかカッコイイ飛行機に乗り・・・

なんとかパリに着くことが出来ました。

~ ~ ~


ところで、ハンガリーの空港は新しいターミナルになっていて、とても現代的なデザインでした!
共産主義時代に作られた今は亡き空港「フェリヘジ1」が懐かしい。
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Budakeszi Vadsparkは「ブダケシ野生園」とでも訳したら良いのか・・・?
まぁ、実際のところ内容を簡単に言い表すと「森林動物園」です。といってもサファリパークのような大掛かりなものではなく、森を歩いていくと動物がいるといった簡単な感じで、そんなさり気なさとコンパクトなところが私は好きです。

海外からの観光客が押し寄せるような観光地では「決して」ありません。しかし、都市近郊の森を歩いて、動物に会ったり、地元の子供たちがはしゃいでいるのを見たり(今回は全然居なかったけど・・・)そんな楽しみも旅の楽しみの一つだと思うので、そういうのが好きな人にはなかなか楽しんでもらえるのではないかと思います。

Budakeszi Vadaspork
http://www.vadaspark-budakeszi.hu/
ブダペストのブダ側の中心部Széll Kálmán tér(以前はモスクワ広場という名称でした)からバスと徒歩で45分ほど。22番22A番222番とか、22系のバスに乗って30分ほどでSzanatórium utca下車。進行方向右手にずっと歩いて徒歩15分程。


さぁ「ブダケシ野生園」へ。この看板から先は結構長いです。左の方が近道。

野生・・・といってももちろん管理された動物園ですので、入り口があってそこで入場料を支払います。大人が1,200Ft(2014年9月現在)でした。日本円で大体600円弱くらいかしら。高くないですが、これでも昔からすると圧倒的に高くなりました。私が住んでいた1998年当時はそれこそ100ftとかその位だったのではないかと記憶してます。


Vadasparkらしい雰囲気の1枚。鹿は柵の中にいるのに、臆病なのか近づくとすぐに逃げていきます。

森の奥には搭があり、そこからの眺めを良く覚えていた。行ってみるとロープが張ってあって「注意!壊れているので、自分の責任で登ってね」の文字が。登ってみると、搭自体の強度は特に問題なさそうな印象でしたが、最上部の回廊が盛大に壊れていました。でもロープも張ってあるし大丈夫そうだ。


ブダケシの街を眺める。

広いなぁ。なんというのんびりした眺めだろう!こんな街に住んでいるのと、東京に住んでいるのでは、人生観が大きく異なってくるに違いない。どちらが良いという問題ではない。しかし異なるのは間違いない。両方住んだ私はそう思う。人は否応なしに環境に影響を受ける。しかし自分の居る環境を(ある程度は)選ぶことができる。

そんなことを考えて、しばし時を忘れ塔の上で風の音を聴いておりました。


熊には熊の人生がある。
(この場所はちょっと彼にはちょっと狭すぎるかもしれない)


猫にも猫の人生がある。
(ブダケシの猫は昔から自由でとても幸せそうに見える)

平日の午後遅めの時間に行ったこともあってか、私以外には誰1人おりませんでした。そんな静かな時間を過ごすにはもってこいのBudakeszi Vadasparkです。万人向けの観光地では御座いませんが、もし興味がある方は是非!
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Budakeszi(ブダケシ)はブダペストからバスで30分程西に行ったところにある小さな街。
特にとりたてて着目すべき点があるというわけでもなく、ブダケシは「決して」観光地ではないです。なんということはない普通の小さな街です。
ハンガリーに住み始めた当初は、たまたまこの街に住むことになったので私はとても馴染み深い街なのだけれども、そうでなければきっと訪れることもなかったであろう・・・そんな街。

住むにはとてもいい街だったと思う。

ブダケシの特徴といえば、ブダペストから「山を越えて」行くというところで、ヤーノシュ山というブダペストの西側にそびえ立っている山(といってもそれほど標高が高いわけでもなく、山というよりは丘みたいなものだけれど)を越えて行くところだろうか。だから、距離としてはそれほど遠くないけれど、随分遠くまで来た気がしてしまうし、実際空気も美味しい気がする。とても環境に恵まれた所なんだと思う。



Gyógyszertár「薬屋」という名前のバス停(!)で下車。


静かな街です。


特に取り立てて言うこともないが、落ち着いていっていい感じです。


昔住んでいた家は取り壊されて、新しい家が建っています。大家は日本にも留学していた人で、彼ら一家が現在では住んでいます。生憎不在でした。(はい。アポなしで行きました。笑)お土産をポストの上に置いて退散。


街はずれは、森だったり草原だったり。
少し行くと広々とした風景が広がります。
贅沢。


サッカー場。Budakesziにもリーグに参加しているサッカーチームがあります。

このような「観光客が全然来ないがなんだか雰囲気が良い街」を私は好きなのかもしれない。そういう街が好きな人(私の他に同じような人がいれば・・・だが)にはお勧めなんだけどな。

あ、でも、Budakesziにも見どころがありました。
また、次回!
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リスト音楽院の建物が全面的に改装されて、リニューアルされたと聞いていたのでとても楽しみにしていたのだったが、なんということか中に入れてもらえなかった!以前は自由に出入りしていた音楽院の出入口は、新しい美術館の入り口のような自動改札になっており、制服を着た門番が何人かいた。「昔の学生で、先生に会いに来たんだけど・・・」といっても入れてもらえない。ハンガリーではこういう時色々と事情を申し立てて粘っていると入れてもらえることがあるのだが、この連中はまったく融通が効かない。私としては「ふざけんな!」である。



しかし、翌日また来てみると、この日は声楽コンクールかなにかをやっており、正面の大きな扉が堂々と空いていて音楽院内を自由に見て回れた。なんだかよくわからない。まぁハンガリーではこういうこともままある。



今回、特に先生達には連絡もせずに突然行ってしまったので、先生達に会うことはかなわないのかな・・・と思ったがピアノのソコライ・バラージュ先生に電話をしてみると、これから音楽院に行くとのことで運良く会えて翌日には一緒に食事をすることも出来た。話をして分かったのだが、先生は最近ではドイツでも教えていてハンガリーに居ることは以前より少ないそうだ。本当に運が良かった。

先生は相変わらずお元気で、道で立ち話をしていたら次々と知り合いが通りかかり「Szia! Szia!(やぁやぁ)」と人気者ぶりを発揮。別れ際には女の人が「Puszi(頬にキス)してくれないの?」とせがまれてしまう相変わらずのモテ男だった。(全然変わっていない!)

音楽家にとってこういう外向的な素養というのは必要なのかな・・?と考えてしまうが、いや、もちろんそれ以前に先生は凄いピアニストなのだけれど。

ピアニストにも色々な方向性の人がいるので「なにをもって凄いと言っているのか?」と問われると簡単には答えられない。だが「ピアニスト」という一つの一般的で平均的な尺度をもし用意できるとしたら、どう考えてもその中で「凄い人」の部類にはいると思う。コンサートで聴いても目の前で聴いても「こんな人に教えてもらっている(いた)のか!」と思わせてくれる人だった。

今回、他の先生には会えず・・・。そもそもハンガリー滞在が実質3日間だったので、これはちょっと短すぎた、と反省。今回の旅行は盛りだくさんで素晴らしかったのだが、こうして振り返ってみると一番大事なことが抜け落ちていたようで、「本末転倒。なにやってんだろう?」という感じ。

とはいえ、色々と「準備」が出来ていなかったかもしれない。せめて新しいアルバムでも作ってからまた伺いたいな・・・と思う。



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以前は英語を喋っていると、頭の中がオーバーヒートするような感覚があって、これは多分相手の言葉をリスニングしたり自分が話そうとすることを英語で一生懸命組み立てることに頭がもの凄く集中しているのだと思うのだけれど、その集中力も5分ほどでこと切れてしまい、その後はもの凄い脱力感が襲ってくるという経験がよくあった。なので、英語を話すことに対して一種の恐怖感みたいなものがあった。いや、恐怖感というと大袈裟かもしれないが、少なくとも「疲れる」という感覚があった。

私の場合、日本での生活で英語を話す機会は日常ではほとんどないものの、TOEICは最近何度か受けている。また、WEBを閲覧していて英語のページを読む機会はどんどん増えているので、英語を読む事に関しては大分慣れてきたと思う。とはいえ、9年も国外に出ていなければ、英語力の向上は大して望めないだろう・・・と思っていた。

やっぱり「疲れる」だろう・・・と。

ましてや、片言の域を出ていないハンガリー語であれば尚更だ。いや「疲れる」事さえ出来ないかも知れない。完全に忘れているかも知れない。

ところで、昨日のブログでは「大家」と一言で書いたが、正確に言うと住んでいた家の2つ向こうの通りに「本当の大家」が居て、私が住んでいた所にいた大家は本当の大家の娘夫妻なのだ。住んでいた時分は本当の大家の所に毎月家賃を持って会いに行っていたものだ。もっとも本当の大家の姉に当たる人物が修道院に入っている敬虔なキリスト教徒で彼女にも一度会ったことがあるのだが、その人が本当に本当の大家と聞いたような気もするが、実際のところ誰が本当の家の持ち主が誰なのか良く分かっていない。(えぇい、ややこしい!)

とにかく「本当の大家」・・・2つ向こうの通りに住んでいる、味噌汁の冷めない距離(いや、ハンガリーなのでグヤーシュが冷めない距離)に住んでいるのは、ボリネーネというおばあちゃんとジュジャさんという娘の二人で、毎月この二人に会いに行ってとても良くしていただいていた。

ボリネーネは昔のハンガリー人らしく、英語は喋らない。なので私は特に頑張ってハンガリー語で会話をしなければならないのだが、これが思ったよりは聞き取れた。いや、聞き取れたと書いてしまうのは誤解をまねくな。そもそも私のハンガリー語の能力は片言であり、かつ9年間(いや9年前は旅行だったので住んでいたときから数えると12年間)のブランクがある。それにしては・・・だ。

以前のようにな「なんとか聞き取らなければ」とか、もしくは「話せないと思われたくない」のような肩肘が張ったところがなくなったのだと思う。
これは英語を話している時でも同じで、以前は話そうとしている内容が難しくて上手く英語に出来なかったり、相手が何度も言い直してくれているのにその内容を理解できない場合に、どうしたら良いのか分からなくなっていた。一種のパニック。でも今回は開き直っているのか、「話が続けられないのなら、話題を変えたらいいじゃないか」とばかり、サラッと「By the way...」とか次の話題に移る図太さがあったと思う。

英語ならまだしもハンガリー語など、難しい話題は全く不可能なのだが、それでもゆっくり喋ってもらったのである程度聞き取れたし、通じなくても通じるように「願いながら」喋った。話がとぎれた時は、ボリネーネのカチューシャが素敵だったので「素敵な青・・・。とても良い色ですね」とか言っていた。彼女はちょっと照れていた。いやいや、本当に素敵な色だったのだ。

もっとも、マラソンを一緒に走ったシャモ君が、有り難いことにかなりの部分を英語を通して通訳してくれたので会話の8割くらいは英語だったかな。そんなこともあって、今回はよく意思の疎通が出来ました。

人間のコミュニケーションなど、その場その場で出来る限りの事をやるしかないと思う。その時に一番素晴らしい時間が過ごせるように。そもそも日本語の話者同士で言葉が通じたとしても、良いコミュニケーションが取れないことは多々ある。それよりも久しぶりに会いたい人に会えて、その時間が幸せでないわけはないので、後はその時間をどのように共有するか・・・なのだと思う。大袈裟に言うと。



画家のバルテュスと勝新太郎は言葉では全くやり取りが出来なかったが、親交を深めたそうだ。なんでも2人は手を取り合ってじっと相手を見つめて幸せそうにしていたそうで、これはバルテュスのような画家と勝新太郎のような役者でこそ成立するコミュニケーションだったのかも知れない。とても興味深い。

この家はブダペストの中心部からは大体30分くらいのところなのですが、とても広くて素敵なお庭があります。
昔に比べるとブダペストの家も、一軒あたりの面積は狭くなっていると思うので、これだけの広さを持つ家は少なくなっていると思う。
とにかく、こんなお庭がある家は、東京人からすると羨ましい限りです。

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今回、「大変だな・・・」と思ったことの一つが、元住んでいた家の大家に連絡して、泊めて貰うか否か・・・ということをあたりをつけて決めねばならなかったことだった。まず、行くからにはもちろん会いたいので、少なくとも家を訪れたいとは思っていた。なので行く旨を連絡をしてみたところ、有り難いことに「部屋をどうぞ使って!泊まっていいよ」と言ってもらえた。嬉しい。しかし、ホントに泊まって良いのかどうか判断が付かなかった。

もちろん、泊まっていいよと言われたからには泊まって良いと思う。昔ならなにも考えずに泊めてもらったと思う。
ただ、こちらは旅行で来ているが、彼らには生活があり仕事がある。邪魔になってしまったら困る。
実際、前回2005年に来たときは、娘のノラちゃんの部屋を取ってしまい彼女は居間で寝たので、なんか申し訳なかった。

いや、有り難いんだけど実際のところどうなのだろう・・・?と思ったわけだ。

私はハンガリー語ではこのような難しいやり取りは一切出来ないので、英語だったのだがそれでも難しかった。
相手がどう考えているのか・・・?メールの文面から読み取り探りを入れるのは日本語でも時に難しかったりするが、外国語で外国人とこのような微妙なニュアンスをやり取りするのは、本当に難しいことなのだなぁと実感した。特に9年も御無沙汰していれば尚更だ。いずれにしてもこれは語学力の問題というよりも、それ以前の人間同士のコミュニケーションや文化の問題で「あぁ、同一の文化に居るということは、このようなことを自然と分かるということなのかな」などと思った。

実際のところ、大家の家は拡張されていて、以前私が住んでいた部屋まで彼らの家の一部になっていたので、スペースには大変余裕があり基本的には問題なかった。2人の子供たちももうブダペストの中央の方で一人暮らしをしているらしい。有り難く泊まらせていただくことになった。

特に9年のブランクを感じさせないというか、一家は昔と同じように私を暖かく迎えてくれて、これはひとえに彼らの人柄であると思うし、またそれほどまでにソフスティケイトされた一家なのだということかと思う。本当に私はハンガリーで恵まれた環境にいることが出来ていたのだなぁ・・・とあらためて感謝せざるを得なかった。

このことを確認できただけでも、来て良かったな・・・と思えるのだった。
大袈裟に聞こえるかも知れないが、本当なのだった。


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現地在住日本人で私がいた当時にオーケストラに入団するために日本からハンガリーにやってきた女性オーボエ奏者・・・ニックネームで「くわちん」さんというのだけれど、彼女の情報ではブダペストハーフマラソンなるイベントがどうやらあるらしい。情報有り難い!

抽選で10倍以上の倍率になってしまう東京マラソンとは大違いで、ブダペストハーフマラソンは寸前でも申し込みが可能(但し開催日に近づけば近づく程、エントリーフィーが高くなる)なのでした。渡航まで既に一週間を切っていましたが「ハーフマラソンなら練習がてら走れるな・・・ううむ」と唸った時には既にエントリー完了。ハンガリーには深夜に到着して翌日には早速レース・・・と、まぁなんとハードなスケジュールだなぁと今からすると思うのだけれども、西回りの時差ボケならむしろ丁度良いとばかりに元気に走りました。



コースは市民公園から英雄広場を通ってアンドラッシー通りをずんずん進み、デアーク広場からくさり橋を渡って王宮を見上げつつドナウ河岸をゲッレールトの丘方面へ行ったりマルギット島まで来たり・・・と言えば、ブダペストを知っている人には「名所ばっかり」と分かってもらえると思います。世界遺産ブダペストの名所をなめ尽くすようなコース。景色を見るだけで楽しい、贅沢なコースでした。



ハンガリー在住当時に住んでいた家の大家一家にはシャム君という小さな少年がいたのだけれど、月日が過ぎさって、彼は成長してとてもとても大きくなりました。なんと彼も走るといってくれたので一緒に走りました。といってもベストタイムを聞いたら私よりも全然速かった!レース中も彼には全く追いつけず、タイムも良くない厳しいレースとなりました。しばらく走り込めていなかったので、練習不足ですね。でも走れて大満足でした。





そして一つ分かったこと。
「これは一週間後はしんどいレースになる・・・」ということ。

2014/09/13  ハンガリー再び

Category: 雑記
2002年に帰国して以来しばらくハンガリーを訪れることが叶わず、結局3年後の2005年になってやっと行くことが出来た。
この時は「あぁ、なんてことだ。あれからもう3年も経ってしまった・・・」と思った。ハンガリーに住んでいたのは1998年から2002年までの3年9ヶ月なので、それに匹敵する時間ハンガリーに帰れなかったのが自分にとって驚きであり、そのような長い時間があっと言う間に過ぎ去ったのが信じられなかった。

その時は「またすぐ来ます」と言い残して日本に帰っていった気がするのだが、まさかさらにそこから9年もの歳月が過ぎ去るとは・・・。

なんだかんだ日本から出ることが億劫になっていたのかも知れない。仕事があるためなかなかまとまった休みが取れないという理由もあった。そもそもハンガリーだけでなく、9年間一切海外に出ることがなかったのだった。恐るべし、島国の引力!この国、日本はなんだかんだで居心地が良いし、普通に生活していると外国に行くようなきっかけが日常生活にポッと生じることはなかなかない(私の場合)ので、出る理由が生じなかったのだと思う。

ハンガリーにいた頃は、こうやって外国にいることがとても自然で意義のあることだと思っていたので、帰国したとしてもまた国境を越えて生きていくつもりでいた。私はこれからもこういう生き方をするだろう・・・と。ところが思った以上に根が生えてしまったのか、どっぷり日本に浸かっているような気がする。それはそれで良かったと思っているけれど。

とはいえ、そろそろ行かないと本当にきっかけがなくなってしまうだろうし、忘れられてしまうかも知れない。いや、もう忘れられているか・・・。というわけでさりげなくクリスマスカードなど昨年あたりから出して近況報告をしつつ「そろそろ行きたいです」などと意志を伝えていたのだった。そもそも2008年に離婚したことも、足を遠のかしていた理由だと思う。多くの出来事をここで「共有」していたので、そこに1人で行くということを上手くできるのか自信がなかった。もちろん旅をすること自体は何一つ問題はないのだが、気持ちの問題として。どうでも良いことかも知れないし、私自身気にしない方なのだが、それでもなんとなく行きづらいのだ。

やっと条件が揃ったのか、気持ちが切り替わったのか、とにかくハンガリーに行くことになった。







 



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