翌日は無事の御礼も兼ねて御岳山へ登山。



登っている人の中には黄色いTシャツ(大会参加者がもらえるTシャツです)を着ている人も結構います。普通、山ですれ違うときは「こんにちは」とか「お疲れ様」とか声を掛け合います。良い習慣だと思います。

しかし、黄色いTシャツ同士は挨拶がちょっと違います。

「お疲れ様でした!(←これから登るというのに既に過去形。しかし昨日は疲れたね)」

「キロですか?マイルですか?(100kmの部の参加者?それとももしかして100マイルだったりします?)」

「お互いどうかしていますよね(あんた、あれだけ走って翌日登山とか、なんなんですか?あ、私も)」

御嶽山は、信仰を集める霊峰としての偉容を誇っています。
レース中などは遠くに見える山ですが、そんな山にゆっくり楽しみながら登れるのは嬉しいものです。



とはいっても、そこは3,000m超。結構急勾配な所もあります。
疲れているだろう脚も心配でしたがほとんど問題なかったです。まだまだ余力がある感じ。



下山してからの帰り際、ふと森へ続く道があったので、足を踏み入れてみました。川まで下りていく道です。おんたけの渓流は本当に綺麗で、水が澄んでいます。流量も豊富。川を渡る部分は、堤のようになっていて、その上を渡ることができました。


水の音。木の枝が揺れる。鳥の声。光がユラユラと川面に写る。

もう、全てが正しいと思える風景であり音風景でした。

その場に20分くらい立ちつくしていたかと思います。


なにかに圧倒されたとかそういうことではなく、その場の中に馴染んで融け込んでいくような感覚です。全てと同化するような。水や木や空気と同じ立場。



山や森に来るのは、この感覚が欲しいからなのかもしれない。
でも、このような気持ちになれるのは稀なこと。

トレランは動の要素が大きいと思うけれど、この感覚は静。では、いつもゆっくり静かに山に来れば良いかというとそういうものでもなく、この気持ちになれたのは昨日あれだけの力を出し切ったことが大きいかと思います。思えば、昨日の後半は、「自動運転」のような感覚の時がありました。走ろうという意識はなく、「次の足をどこにつくか」それだけを考えて、静かに静かに進んでいました。地面を蹴るのではなく、トントントンと自分の身体を支えているだけで前に進んでいく感覚です。決してケンカをしていない。とても自然に最適化された行為。

動と静。違いはあるけれど、自然に融け込む感覚と、自動運転で山道を進む感覚は近いものがあるようにも思いました。

これは動物的な感覚を取り戻した瞬間だったのかも知れないです。


・・・そんな、まるで神の啓示であるかのような時を過ごして、帰路につきました。

2014/07/30  幸せな時間

100kmのトレランレース。夜中の0時にスタートして、夜通し走って10時間以上かけてゴールする。

多くの人は「随分大変なことをする人がいるものだなぁ」と感じるだろうし、「なんでそんなことをするのか?理解できない。」と思う人もいるかも知れない。

自分がなぜこの「おんたけウルトラトレイル100km」をどうしても完走したいのか?・・・と考えてみても、どうにも明確な答えはないのですが、なんとしてでも完走したいという思いは確かなのでした。この場合「なぜ走るのか?」は、恐らく「なぜ生きるのか?」という問いに等しいのだと思います。

日付が変わると同時に1,000人近くのヘッドライトを灯した大人が一斉に山に向かって走り出す・・・というこの光景はなかなかシュールで好きなのですが、これは野生動物の大群が移動している様を想像させてくれます。かなり野性的な行為。でも力任せで走りきろうとしても無理で、自分の力に応じた作戦が必要。3年前にリタイアした経験から、色々と作戦を練りました。

その一つは「序盤は抑えて余力を持って中盤の厳しい区間に臨む」ということです。序盤はどの選手もどうしても前のめりになります。オーバーペース気味につっこんでしまうのですが、ここは着いていきたい気持ちは抑えて、太陽が昇って暑くなる中盤に体力を温存しておくのです。前回は栄養補給でも失敗しました。補給が足らず、エネルギー切れを起こしてしまいました。これは通称シャリバテとも言いますが、こうなるともうペースがガクッと落ちてしまいます。定期的な補給は絶対必要です。自身への心理的な制御が大事だということも、あらためて学んだ気がします。距離が長いのとどうしても「早くこの苦難から脱したい」と思って人間頑張ってしまうものなのですが、そうすると水や栄養の補給をおろそかにしてでも少しでも前に行こうとしてしまって、その結果エネルギー切れとか、余計な体力を消耗してしまったりするものです。先が長いのはもうどうしようもない。全体の中で今この瞬間に出来ることはなにか?一歩でも少しづつでも前に進むこと。今はこれをひたすら繰り返す・・・そんな風に自分をもっていなかなければならないと思います。



作戦は功を奏して、後半タイムが落ちることもなく、ほぼ平均的なペースで進むことが出来ました。

前回リタイアした第2関門から先に進めるのが夢のようでした。そこから先も長く、時には苦しみもありましたが、ゴールできるという確信があったのでそんなものは取るに足らないものでした。
最後の数キロ、舗装路に出てからもペースは落ちず走ることができそのままゴール。タイムは16時間15分34秒。

レース中は本当に色々なことが頭をよぎりました。終わってみると、1日とはとても思えない長い時間の旅をしていたように思えるのです。
その時なにを考えていたか?とても言葉に出来ないのです。言葉にしたいのですが、言葉にならない。
ここを言葉にしなければならないし、音楽にしなければならない。
でも、色々なことに感謝している時間が長かったことは確かです。
とても幸せな時間でした。
名栗再訪。
さわらびの湯を基点にして、反時計回りでスタート→蕨山→有間山→有間峠→日向沢の峰(ひなたざわのうら)→長尾丸山→棒ノ嶺→ゴール という何度も来ているコースです。しんどいけど、楽しくて充実感があるコース。

山に行きはじめた当初は、なぜ尾根の上に道ができるのかよく分かりませんでした。わざわざ高いところに道を造って辛い思いをしなくても、頂上を回避して巻き道を行ったら良いのでは・・・?などと思っていました。

私は頂上を目指す「ピークハント」よりも、どちらかというと森の中を進む道の方が好きなので、巻き道の方が有り難いのです。もちろんその方が歩くのは楽ですし。

なぜ尾根に道があるのか?巻き道は斜面に道が出来ることになるので、どうしても崩れやすいところに道があることになります。よって定期的なメンテナンスが必要。その点、尾根は道が安定しているのですね。両側が崖であろうと、尾根自体には斜度がないわけですから、崩れて道がなくなってしまうというケースが少ない・・・と。

しかし尾根である以上、どうしたってアップダウンが多くなります。名栗U字トレイルもアップダウンの連続。いつ行ってもこのコースは大変だなぁと思います。

ところで、この下の写真、小さな岩山のようになっていますが、これもコース上にあります。このこんもりした岩の上がコースなのですが、どこを通るか分かりますか?



写真で見るとどこを通ったら良いのか分からないし、実際でもこのような岩にぱっと出くわすと、「えっ、道どこ?」と一瞬とまどいます。でもちゃんと先人達の道はあります。その場に行くと「どこが踏まれているか」自然と分かってくるものなのです。皆、自然へのダメージを最小にしようという考えからか、コースを守ろうとしているのだと思います。踏み跡以外は草がちゃんと生えています。

自然の造形。人は通っているけど、その作用も含めて自然が作り出した美しさがあります。

このコースの後半は、こんな感じの「庭師・・・どこかにいるよね」と言いたくなるようなひっそりとした自然の庭園に何度も会えるのが嬉しい。



今年は雪が多かったからか、この季節でも吹きだまりには雪がちょっと残っていました。この場所は有間峠の近くで、標高は1,150mくらいです。



晩秋や冬の山も良いけれど、新緑の季節はやはり最高です。

以前と比べてトレイルランナーが増えました。今まで登山をやってらっしゃった年配の方が「最近、トレランをやってみたのですが、面白かったです」などと話しかけてくれたりしました。

スタイルは軽装でも、慌てずゆっくり行きましょう。
コース最後の沢を下る箇所は、数年前に大けがをした場所です。もう大分良くなりましたが、今も完治はしていません。本当に恐る恐る下りました。疲れてくると判断力もほんと鈍ってるんだなぁと、自分を客観ししつつ思いました。「あと少しで終わる、もうちょっと」と思っているのなら、余計に慌てずゆっくりと。

・・・そんなことを思いつつ、今日の山行を終えました。
 



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