以前は英語を喋っていると、頭の中がオーバーヒートするような感覚があって、これは多分相手の言葉をリスニングしたり自分が話そうとすることを英語で一生懸命組み立てることに頭がもの凄く集中しているのだと思うのだけれど、その集中力も5分ほどでこと切れてしまい、その後はもの凄い脱力感が襲ってくるという経験がよくあった。なので、英語を話すことに対して一種の恐怖感みたいなものがあった。いや、恐怖感というと大袈裟かもしれないが、少なくとも「疲れる」という感覚があった。

私の場合、日本での生活で英語を話す機会は日常ではほとんどないものの、TOEICは最近何度か受けている。また、WEBを閲覧していて英語のページを読む機会はどんどん増えているので、英語を読む事に関しては大分慣れてきたと思う。とはいえ、9年も国外に出ていなければ、英語力の向上は大して望めないだろう・・・と思っていた。

やっぱり「疲れる」だろう・・・と。

ましてや、片言の域を出ていないハンガリー語であれば尚更だ。いや「疲れる」事さえ出来ないかも知れない。完全に忘れているかも知れない。

ところで、昨日のブログでは「大家」と一言で書いたが、正確に言うと住んでいた家の2つ向こうの通りに「本当の大家」が居て、私が住んでいた所にいた大家は本当の大家の娘夫妻なのだ。住んでいた時分は本当の大家の所に毎月家賃を持って会いに行っていたものだ。もっとも本当の大家の姉に当たる人物が修道院に入っている敬虔なキリスト教徒で彼女にも一度会ったことがあるのだが、その人が本当に本当の大家と聞いたような気もするが、実際のところ誰が本当の家の持ち主が誰なのか良く分かっていない。(えぇい、ややこしい!)

とにかく「本当の大家」・・・2つ向こうの通りに住んでいる、味噌汁の冷めない距離(いや、ハンガリーなのでグヤーシュが冷めない距離)に住んでいるのは、ボリネーネというおばあちゃんとジュジャさんという娘の二人で、毎月この二人に会いに行ってとても良くしていただいていた。

ボリネーネは昔のハンガリー人らしく、英語は喋らない。なので私は特に頑張ってハンガリー語で会話をしなければならないのだが、これが思ったよりは聞き取れた。いや、聞き取れたと書いてしまうのは誤解をまねくな。そもそも私のハンガリー語の能力は片言であり、かつ9年間(いや9年前は旅行だったので住んでいたときから数えると12年間)のブランクがある。それにしては・・・だ。

以前のようにな「なんとか聞き取らなければ」とか、もしくは「話せないと思われたくない」のような肩肘が張ったところがなくなったのだと思う。
これは英語を話している時でも同じで、以前は話そうとしている内容が難しくて上手く英語に出来なかったり、相手が何度も言い直してくれているのにその内容を理解できない場合に、どうしたら良いのか分からなくなっていた。一種のパニック。でも今回は開き直っているのか、「話が続けられないのなら、話題を変えたらいいじゃないか」とばかり、サラッと「By the way...」とか次の話題に移る図太さがあったと思う。

英語ならまだしもハンガリー語など、難しい話題は全く不可能なのだが、それでもゆっくり喋ってもらったのである程度聞き取れたし、通じなくても通じるように「願いながら」喋った。話がとぎれた時は、ボリネーネのカチューシャが素敵だったので「素敵な青・・・。とても良い色ですね」とか言っていた。彼女はちょっと照れていた。いやいや、本当に素敵な色だったのだ。

もっとも、マラソンを一緒に走ったシャモ君が、有り難いことにかなりの部分を英語を通して通訳してくれたので会話の8割くらいは英語だったかな。そんなこともあって、今回はよく意思の疎通が出来ました。

人間のコミュニケーションなど、その場その場で出来る限りの事をやるしかないと思う。その時に一番素晴らしい時間が過ごせるように。そもそも日本語の話者同士で言葉が通じたとしても、良いコミュニケーションが取れないことは多々ある。それよりも久しぶりに会いたい人に会えて、その時間が幸せでないわけはないので、後はその時間をどのように共有するか・・・なのだと思う。大袈裟に言うと。



画家のバルテュスと勝新太郎は言葉では全くやり取りが出来なかったが、親交を深めたそうだ。なんでも2人は手を取り合ってじっと相手を見つめて幸せそうにしていたそうで、これはバルテュスのような画家と勝新太郎のような役者でこそ成立するコミュニケーションだったのかも知れない。とても興味深い。

この家はブダペストの中心部からは大体30分くらいのところなのですが、とても広くて素敵なお庭があります。
昔に比べるとブダペストの家も、一軒あたりの面積は狭くなっていると思うので、これだけの広さを持つ家は少なくなっていると思う。
とにかく、こんなお庭がある家は、東京人からすると羨ましい限りです。