今回、「大変だな・・・」と思ったことの一つが、元住んでいた家の大家に連絡して、泊めて貰うか否か・・・ということをあたりをつけて決めねばならなかったことだった。まず、行くからにはもちろん会いたいので、少なくとも家を訪れたいとは思っていた。なので行く旨を連絡をしてみたところ、有り難いことに「部屋をどうぞ使って!泊まっていいよ」と言ってもらえた。嬉しい。しかし、ホントに泊まって良いのかどうか判断が付かなかった。

もちろん、泊まっていいよと言われたからには泊まって良いと思う。昔ならなにも考えずに泊めてもらったと思う。
ただ、こちらは旅行で来ているが、彼らには生活があり仕事がある。邪魔になってしまったら困る。
実際、前回2005年に来たときは、娘のノラちゃんの部屋を取ってしまい彼女は居間で寝たので、なんか申し訳なかった。

いや、有り難いんだけど実際のところどうなのだろう・・・?と思ったわけだ。

私はハンガリー語ではこのような難しいやり取りは一切出来ないので、英語だったのだがそれでも難しかった。
相手がどう考えているのか・・・?メールの文面から読み取り探りを入れるのは日本語でも時に難しかったりするが、外国語で外国人とこのような微妙なニュアンスをやり取りするのは、本当に難しいことなのだなぁと実感した。特に9年も御無沙汰していれば尚更だ。いずれにしてもこれは語学力の問題というよりも、それ以前の人間同士のコミュニケーションや文化の問題で「あぁ、同一の文化に居るということは、このようなことを自然と分かるということなのかな」などと思った。

実際のところ、大家の家は拡張されていて、以前私が住んでいた部屋まで彼らの家の一部になっていたので、スペースには大変余裕があり基本的には問題なかった。2人の子供たちももうブダペストの中央の方で一人暮らしをしているらしい。有り難く泊まらせていただくことになった。

特に9年のブランクを感じさせないというか、一家は昔と同じように私を暖かく迎えてくれて、これはひとえに彼らの人柄であると思うし、またそれほどまでにソフスティケイトされた一家なのだということかと思う。本当に私はハンガリーで恵まれた環境にいることが出来ていたのだなぁ・・・とあらためて感謝せざるを得なかった。

このことを確認できただけでも、来て良かったな・・・と思えるのだった。
大袈裟に聞こえるかも知れないが、本当なのだった。