村上春樹の小説の魅力の一つは「軽妙」に読ませておいていつのまにか「深み」に引きずり込む・・・ところにあると思う。

すらすらと読みやすい。それはつまり「文章のテンポが良く」「ストーリーが面白く」「登場人物や設定が魅力に溢れている」からだろうか。こんなに読ませる作家はなかなかいないのではないかという気がするけど、とにかく読者はそうやって読み進めているうちに、いつのまにか村上ワールドにはまってしまう。

映画「ノルウェーの森」を観てきた。

松山ケンイチと菊地凛子という2人の若手人気俳優が主演。この2人の演技は凄かった。松山ケンイチは、他の映画でも観たけど、この人はどうやったらこう色々なキャラクターを、まるでその人が実在するかのごとく演じ分けられるのだろう?演技するという事に関して細かいことは良く分からないけど、台詞のトーンやタイミング、目線、顔の筋肉の使い方、歩き方、エトセトラエトセトラ、全てが一体となってその登場人物を描く(表現)ことができるのだろうと想像する。たぶん松山さんは研究熱心なのだろう。そんな気がする。菊地凛子の演技は鬼気迫っていた。美しい人でかつエキセントリックなイメージがあったけれど、直子のような役ははまり役なのかな。緑役の水原希子さんは、私の緑のイメージとは違っていた(まさかこんな可憐な人だとは思っていなかった)ので最初は違和感があったのだけれど、最後には「あ~緑はこういう人だったのね」と思わせてくれる、なんとも言えない説得力があった。

映画の描き出す風景は、実に美しかった。季節感や時代背景がスクリーンに溢れていた。監督は日本の風物にかなり魅せられていたようで、常にそういう風景をバックグラウンドに登場人物がいた。登場人物が風景に取り囲まれているといった方が良いかも知れない。CGを使うような加工された美しさではなく、ただひたすらスクリーンにピュアな姿を映し出す。そんな撮り方。

ストーリーは知っている人もたくさんいるだろうし、知らない人は映画を観てから知りたいと思うかも知れないのでここには書かないけれど、結構深刻なやるせないストーリーだ。ここは村上春樹の夢の中の世界であり、言ってみれば人間の奥底にあるドロドロとした説明できないものだと思う。読者を引きずり込んでいく先の「深淵な」世界だ。

では、小説に存在する「軽妙」な感じは映画にもあったのか?
これが全くと言っていいほど感じられなかった。

小説と映画は台詞の扱いが違う。小説ならどんどん読み進められるので、基本的に小説の台詞のテンポは等間隔だと思う。つまり文字の長さが、そのまま台詞のテンポになる。ところが映画だとゆっくりも喋ることができるし、速くすることもできる。行間を長くとって、その間(ま)を使って視線で物を語ることもできる。演出の問題なのかもしれないが、小説の持っているテンポの良さが、映画だと全く感じられなかった。物事は静かにゆっくりと進行していった。

小説「ノルウェーの森」が本当に言いたかったことは、映画がクローズアップしている深刻なストーリーの部分かもしれない。その点に関しては見事に描ききったであろう。しかしながら、楽しいエピソードだったり、会話の妙だったり、そういったものがこの深刻な話のなかで「救い」になっていたはず・・・私はそう思う。映画ノルウェーの森ではそういった部分の比重はかなり低くなっており、深刻な気持ちにばかりさせられた。いやむしろ観ていて気が重かったとさえ言える。せめて、レイコさんというとても重要な人物(だと私は思う)にもっと時間を割けなかったのか?彼女は小説では直子を元気付けるような役で、タイトルにもなっている「ノルウェーの森」をギターで歌う人だ。直子とワタナベの中間の人と言って良いだろうか。とても重要だと思う。映画の中ではレイコさんが普通の脇役程度の時間しか描かれていないため、レイコさんがワタナベの家にやってくる部分はものすごく唐突で違和感のある出来事になってしまっている。

(もっとも2時間ちょっとの時間でそこまで膨らませるのは難しいか・・・。延べ10時間以上の放映時間を持てるドラマにした方が良かったかも知れない・・・)

終わってから、後ろにいた女性二人組の会話が耳に入った。
実は開演前に監督の舞台挨拶があって、「この映画を観た人が幸せな気持ちになってくれることを願う」という趣旨の発言(あくまで趣旨で、正確な文言ではないです。すいません)があった。「この映画のどこが幸せな気持ちにしてくれるのかしら?私はとてもなれない・・・。」というのが私の耳に入ったその女性の感想だった。
なるほど、確かにそうかも知れないと思う。敢えて言うなら、幸せと思えたのは、私の場合「映画が終わって現実の世界に帰って来れた」ということだった。これはもちろん皮肉ではない。それくらい陰鬱で深刻なものがこの映画にはある。

しかしながら、このようにシリアスな面から物事を捉え、映画を作り描ききったとはなんと素晴らしいことだろう!
「表層的なハッピー」を描いて・・・いや「演出」して、それ以外なにも残らない映画が多すぎる。
「ここでこうしたら、観客がこう思うだろう」というのが、ストーリー、演出の全てにおける出発点になっている映画が多い。多すぎる。そういう映画を観ると「一体全体何が言いたいのだろう・・・?」と思うのだ。

映画「ノルウェーの森」は、先ず原作として素晴らしい小説があり、それを読んで映画で表現しようと思った誠実な監督がいて、豪華なキャストがそれを見事に具体化した、まっすぐな映画だと思った。