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Category: 音楽
千葉市ユースホステル(千葉市緑区土気町)で昨年2度ほどコンサートを行わせていただきました。なぜユースホステルでコンサート・・・という疑問も持つ人もいるでしょうが、これは一つにユースホステルを身近に使っていただくためでもあり、地域に音楽にふれあう機会をもってもらう・・・という、まぁ様々な理由です。

詳しい事情を書きますと、このユースホステルは運営が民間に委託されています。地方公共団体だけで運営しますと、どうしてもフレキシビリティーにかける部分がどうしても出てきますので、そうではなく民間に任せて、面白いことをどんどんやってもらおうということのようです。

千葉市ユースホステルは千葉市のはずれ土気町の昭和の森の中にあります。昭和の森はこのブログでも何度か書いていますが、とても大規模な公園でグルッと一周歩いて回ると軽く1時間を越えてしまうほどの大きな公園で、とても豊かな自然環境に恵まれた場所です。ユースホステルはその一角にあります。

そんなユースホステルでコンサートを行いたいという話が私の所に来まして、それで昨年は何度か弾かせていただいたという次第です。

さて、昨日はこのユースホステルで「ミユキタンゴ」のコンサートがありました。名前の通りタンゴのコンサートです。いやぁ、楽しかった・・・。私自身は昨年は2度も弾かせて頂きましたし、毎回私が弾くのもなんです。例え一緒に弾く人が毎回変わったとしても、ピアノがいつも同じだったら、いいかげん食傷気味です。そんなわけで、昨日は全く弾かず、裏方に徹しつつも聴衆の一人としてコンサートに参加しました。

ミユキタンゴはピアニスト佐藤美由紀さんを中心とするタンゴバンドですが、実は私は佐藤さんとは初対面でした。対して、ギターのスズキイチロウさんとはもう15年以上の知り合いであり、彼は基本的にはジャズギタリストです。初めてお会いしたのは23歳くらいだったかな。私は当時まだ若かったので、色々教えてもらって、特にレッスンを受けたとかそういうことではないのですが、もう飲みながらとか色々な機会に、音楽について様々なことを伺いました。今思えばそういうことを教えていただいたことが今でも考えの基本になっているところもあり、レッスン料は払ってないけど、私にとって「先生」みたいな人であります。ありがとうございます。その節は本当に。この場を借りて。

そんなスズキイチロウさんのタンゴ。実はこのバンドの音は聞いたことがなかったけれど、彼は常にプロの演奏を聴かせてくれるのは間違いないし、ここのお客さんにタンゴを聴いてもらいたいという思いもあり、今回お願いしました。お客さんもこういうエネルギーのある音楽は大好きみたいで、とても盛り上がっていました。バンドネオンの仁詩さんも素晴らしかった。結果コンサートは大成功のうちに終わりました。

今回、コンサートを裏手から見ていたのですが、こういう機会は今までなかったので、面白かったですね。演奏者のブッキングとかから、主催者と演奏者の間に入って仕事をすることはありますが、それはあくまで演奏者の一人としてであり、自分が演奏しないのにこのような調整をするのは初めてでした。本番がはじまり会場の一番後ろからお客さん越しに演奏者を見ていると、「この演奏者にここに来てもらって、そしてこのお客様達が今楽しんでいるのだなぁ」と思えるのはなんだか不思議な気持ちでした。つまり「場を用意」したんだなぁというか。もちろん主役は演奏者であり、YHがこの企画をやろうとしなければなにもスタートしなかったことは言うまでもありませんが。

そんなわけで今回はYHにおいて3回目のコンサートでした。だんだん認知されてきたのか、過去2回に来てくれた人の中でまた来てくれた人も結構いまして、今回は今までで一番多いお客さんが来てくれました。続けてやると、認知してもらえますね。

こういうコンサートシリーズみたいなものを企画して根付かせるのって大変なことで、今後も沢山の人の労力が必要かと思いますが、素敵な「場」がこれからもあってくれたらと思います。
Category: 音楽
Classic FMで聴いてamazonで注文したCDが実はもう一枚ありました。
イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズのトーマス・タリスの主題による幻想曲です。

浅学の私はこの作曲家の事を知りませんでした。1872年生まれで1958年まで生きていたので、だいたいジャン・シベリウスと同時期。実際にシベリウスを尊敬していたそうです。トーマス・タリスの主題による幻想曲は1910年の作品で、CDのライナーノーツによれば、この曲は初期の傑作らしいです。

弦楽合奏によるこの曲は、サウンド的にはレスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」と近い気もしますし、シベリウスが引き出した弦の魅力も併せ持っているように思います。また、独奏の弦楽器を効果的に使っていて、弦楽だけの合奏とは思えないほどサウンドにバリエーションがあります。広がる音、中心に集まる音、遠くにかすかに存在する音、聳え立つ音。弦楽器という同じ音色でありながら、色々な音場が展開していきます。ポリフォニックなところもまた魅力的にしているのでしょう。

この曲は調性音楽です。もちろん19世紀の進行とは異なる部分が多々ありますが、明らかに調性の重力が作用する中で音楽が進行していきます。この点はシベリウスと同様です。

ヴォーン・ウィリアムズやシベリウスが生きたこの時代は新ウィーン楽派の時代でもあります。無調の響きを追求していった人たちが、時代の先端でした。ウィリアムズやシベリウスはともすれば「今までに既に行われたことを繰り返す人」と揶揄する向きもあったはずです。

新ウィーン楽派は音楽史に多大な足跡を残したことに異論はないのですが、今この21世紀にヴォーン・ウィリアムズを聴いて私はなにか新しいものを聴くことができました。いや、この曲がなにを言っているのか、まだよく分かっていません。ただ、「音楽のもって行き方」になにか今まで聴いたことのないものを感じました。

「どこにも行く気がない」とでも言ったら良いのでしょうか。曲の終わりの方ではやっと若干方向性が見えるのですが、そこにいくまでは長いこと音楽が漂っているように聞こえますし、やっと方向性を見つけて進むのかと思いきや、曲の最後ではやっぱりもとの位置に戻ってきているように思えます。

本当にこの曲が何を言っているのかまだ分からないのですが、どうやら私は惹きこまれました。

この「新しい」と思える感覚はなんだろう。
どこを新しいと思っているのだろう。

・・・少なくとも「音楽理論上の新しさ」ではないことは確かです。

もし興味のあるかたは、Youtubeにもアップされているようですので、聴いてみてください。
Category: 音楽
iPhoneでラジオを聴くためのアプリは色々なものがあります。
そのなかでも最近tuneinを使っているので、簡単に紹介します。

tunein 画面

「ネットラジオ」というものはパソコン版で昔からありました。電波で送信する普通のラジオの代わりに、インターネット回線で送信してしまおうというものです。

日本ではラジオ局がインターネットでの送信に消極的でしたが、世界中を見回せばほとんどの国のラジオ局は積極なようで、世界中のラジオ局がインターネットを通して聴くことができます。

tunein ラジオ局一覧

一体いくつのラジオ局が登録されているのか分かりませんが、数は膨大です。そのなかからお気に入りの音楽を流しているラジオ局を見つけることができます。検索の仕方も色々あり、「クラシック」「ロック」などとジャンルで選ぶこともできますし、「ハンガリー、ブダペスト」「ハンガリー、ケチケメート」など都市名で選ぶことも出来ます。

ラジオ局を選択すると、データを読み込みバッファが溜まるまで数秒時間が掛かりますが、すぐに放送を聞くことができます。

音質ですが、これは放送局によります。配信するビットレートが異なりますので、一概には言えません。ただ、たいていの場合良い音質で配信されているようで、普通にCDやMP3で音楽を聴くのとほとんど変わらないのではないかと言う気がします。

こうして昔聴いたハンガリーのバルトークラジオを聴けるというわけです。世界中を旅するように、色々なラジオ局の放送をこんな良い音で聴けるとはなんという贅沢!

tuneinには録音機能も付いています。

tunein ラジオ局一覧
tunein ラジオ局一覧

左下の赤い丸をタップするとすぐに録音がはじまり、後でまた聴き直すことが出来ます。

それにしても音楽の聴取形態というのはどんどん変わるものですね。生演奏でしか聴くことが出来なかった音楽が、蓄音機の発明で後から聴き直せるようにあり、その後LPレコード、テープ、CD、MDやMP3など、と推移していき、インターネットで配信される時代に。どんどん便利になりました。

便利になるのはいいのですが、音楽が益々売れなくなってしまうのではないかと心配にもなってしまいます。tuneinは85円払えば(無料版もあります)あとは回線さえ繋がっていれば世界中から音楽がタダで流れてきます。これだけで充分満足なのでは?と思ってしまいます。

今tuneinで聴きながらこれを書いているのですが、イギリスのClassic FMを聴いています。この放送局なかなかいいです。いや、かなりいい感じです。
先ほどはキーシンの演奏するシューマンのコンチェルトだったのですが、あまりに素晴らしいので思わずamazonで注文してしまいました。

お、無料の配信から、購入に結びつきました!

子供の頃ラジオは音楽との出会いの場だったと思います。NHKのFMをエアチェックしてテープがそれこそ擦り切れそうになるほど聴きました。今またネットラジオから同じように出会いがあったわけで、これはちょっと幸せなことのような気がします。

テクノロジーの進歩で難しくなることもありますが、まぁ全体としては「いいじゃないか」と思ったわけです。
Category: 音楽


もう随分前のアルバムですが、2ndアルバム「響きの色彩」に収録されている「葉色に描かれた雨」のPVを製作しました。

PVを作りたいという希望はずいぶん前から持っていて、映像のイメージもかなり明確にあったのですが、いざカメラで撮影して、動画を編集してという作業は未経験な領域で、なかなか敷居が高く手が付けられませんでした。

一念発起して撮影に行ったのが去年の6月。葉色に描かれた雨のイメージに合ったトレイルに行ってきました。もちろん雨の日を狙ってです。そのように折角素敵な森の動画を撮れたにもかかわらず、その後なかなか編集することが出来ませんでした。時間がなかったというのもありますが、むしろ、どのようにイメージを繋げていったらいいのか分からず、途方にくれていたのだと思います。まぁ、そりゃそうでしょう。動画の編集なんて今までにやったことがないことなのですから。

やりたい。けど、どこから手を付けていいのか分からず時間が過ぎていく悪いパターンです。

そんなわけで、現段階では試作版でいいじゃないかと、半ば諦め、エイヤっと作ったのが、上のPVです。

作曲がそうなのですが、「時間を区切ってその時間内でできることのベストを尽くそう」とある種の開き直りの境地に達せられると、作業は進みます。今日はOFFで完全に予定がなかったので、普段出来ないことが出来ました。

当初予定していたイメージでは、音楽と映像が完全にシンクロしたものでした。そういう意味では、このPVは私のイメージの20%程度しか表現できていないと思います。そもそも「PV(プロモーションビデオ)」と書いていますが、このようなビデオの音楽と映像は対等な関係だと思います。主従関係ではないはずです。プロモーションのためのオマケではなく、音楽+映像のひとつの作品であって欲しいです。

完全にシンクロしている、音楽も映像も高度に密着したそんな作品・・・いつか作れたらな、と思っているのですが、果たして・・・。
Category: 雑記
今年もどうぞよろしくお願い致します。

2011年は東日本にとって大変な年でありました。
大震災の際のその揺れや津波の被害の惨状、さらに追い打ちをかけるような原発の事故。
スーパーの棚からは品物が消え、放射能に怯えて外出もままならないという、まさに社会的な危機といって差し支えない状況だったかと思います。

私たちの社会基盤である、エネルギー、情報、物流のネットワークの弱さが露呈しました。
なんらかの外部的な要因から、ネットワークの中のポイントが欠けていき、やがてネットワーク全体の物事が上手く回らなくなってしまうことが簡単に起こりうることがわかります。

その反面、1,000年に一度の大地震だったにも関わらず、そこから立ち直るだけの強さもまた併せ持っているのだなという印象もあります。
震災から8ヶ月弱が経過した現在、被災地はまだまだ日常の生活からとかけ離れていて「復興」という2文字からは程遠い状態であるわけですが、関東圏に関しては2,3ヶ月の内に生活もほぼ日常に戻ってきました。日本全体としては震災の直接的なショックからは脱して既に傷が癒える回復期に入っていると言えるでしょう。そもそも、日本は昔から定期的に大きな震災を経験して今にいたっているわけで、今回だって立ち直れないはずはないのです。過去にも同じように全てを失ってそこから立ち直ってきたわけですから、

個人的にこの震災から感じたこと。それは強くあらねばならないということでした。

今回、原発の状況が思わしくなくなり、どこか西のほうに山を越えて避難しなければならない可能性について考えた時もありました。もしそうするとしたら最悪徒歩で移動することになりますが、その時要求されることはまず肉体的な強さでしょう。徒歩で移動することはなかったとしても、もしどこか避難所で生活するとしたら、普段と違うストレスの多い環境でやっていかなければなりません。そのような時に健全な判断力を保しつづけるためにまず必要なことといえば、まず肉体的な強さが問われると思います。
強くあらねばならないのは肉体だけありません。ストレスを感じていたらそれはマイナスになりますから、ストレスを受け流すことができる、自分の感情を制御できる理性の強さも必要です。さらに、情報収集力、判断力、コミュニケーション能力、あらゆる方面に於いて強さが求められます。
普段はシステムに守ってもらえている部分が、震災のような危機的な状況下では自分自身で守らなくてはなりません。日常では必ずしも必要ではない強さが必要になります。今回は私の周りでは幸いそこまでサバイバルな状況にはならずに済みましたが、人間という生き物が生き残るためには強くなくては生き残れない・・・震災はそう教えてくれました。

兎にも角にも、私はこうして新年を迎えることができました。
東京で亡くなった人はほとんどいないとは言え、三陸の惨状をみるにつけ、生き残ったという感覚すらあります。

私は戦後の平和な時代に生まれ、戦争も知りません。大きな災害で周りの人が沢山亡くなるということもありませんでした。
これは、とても有難い事です。ラッキーだったと思います。
そして大多数の日本人には、このように幸せな時代を過ごしてきたと思います。
平和な時代だからこそできることがたくさんあります。素晴らしいことです。

反面、危機が起こったときに適応する力を養う機会が少なかったかも知れません。危機は起こりうるということを前提にそのような場合にどのように対処するか、対処するためにはなにが必要か考えておく必要があると思います。これは危機を恐れば良いということではなく、むしろ逆です。リスクを取らないと何もできなくなってしまいます。危険があるのはこの世の常です。リスクをとりつつも、リスクを包容したシステムやプランを持っていなければならないのです。

震災は特別な出来事でしたが、今後も世界的に混沌とした状況がまだまだ続きそうな気がしています。
生き残るために、取るべきリスクは取り、攻めの気持ちを忘れず、躍動的に生きていきたいと思っております。
2012年はそのような年としたいと思っています。
 



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