Classic FMで聴いてamazonで注文したCDが実はもう一枚ありました。
イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズのトーマス・タリスの主題による幻想曲です。

浅学の私はこの作曲家の事を知りませんでした。1872年生まれで1958年まで生きていたので、だいたいジャン・シベリウスと同時期。実際にシベリウスを尊敬していたそうです。トーマス・タリスの主題による幻想曲は1910年の作品で、CDのライナーノーツによれば、この曲は初期の傑作らしいです。

弦楽合奏によるこの曲は、サウンド的にはレスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」と近い気もしますし、シベリウスが引き出した弦の魅力も併せ持っているように思います。また、独奏の弦楽器を効果的に使っていて、弦楽だけの合奏とは思えないほどサウンドにバリエーションがあります。広がる音、中心に集まる音、遠くにかすかに存在する音、聳え立つ音。弦楽器という同じ音色でありながら、色々な音場が展開していきます。ポリフォニックなところもまた魅力的にしているのでしょう。

この曲は調性音楽です。もちろん19世紀の進行とは異なる部分が多々ありますが、明らかに調性の重力が作用する中で音楽が進行していきます。この点はシベリウスと同様です。

ヴォーン・ウィリアムズやシベリウスが生きたこの時代は新ウィーン楽派の時代でもあります。無調の響きを追求していった人たちが、時代の先端でした。ウィリアムズやシベリウスはともすれば「今までに既に行われたことを繰り返す人」と揶揄する向きもあったはずです。

新ウィーン楽派は音楽史に多大な足跡を残したことに異論はないのですが、今この21世紀にヴォーン・ウィリアムズを聴いて私はなにか新しいものを聴くことができました。いや、この曲がなにを言っているのか、まだよく分かっていません。ただ、「音楽のもって行き方」になにか今まで聴いたことのないものを感じました。

「どこにも行く気がない」とでも言ったら良いのでしょうか。曲の終わりの方ではやっと若干方向性が見えるのですが、そこにいくまでは長いこと音楽が漂っているように聞こえますし、やっと方向性を見つけて進むのかと思いきや、曲の最後ではやっぱりもとの位置に戻ってきているように思えます。

本当にこの曲が何を言っているのかまだ分からないのですが、どうやら私は惹きこまれました。

この「新しい」と思える感覚はなんだろう。
どこを新しいと思っているのだろう。

・・・少なくとも「音楽理論上の新しさ」ではないことは確かです。

もし興味のあるかたは、Youtubeにもアップされているようですので、聴いてみてください。