Archives

You are currently viewing archive for May 2011

2011/05/15  改訂と浄書

Category: 音楽
もうかれこれ10年以上前になりますが、オーボエとピアノのためのテーマと11の変奏曲を作りました。

オーボエという楽器は私も吹いていたことがあったので作りやすかったのと、当時は変奏曲というジャンルを作りたかった(恐らく、変奏曲は作曲の訓練にもなるので)ので、このような構成になりました。
同じく留学生の佐田明子さんに吹いてもらって(ありがとうございます!)、音楽院でのコンサートで演奏することができました。

昔に作った曲を読み返す、聴き返すというのは面白いものです。
過去に作った曲ですから頭には入っていますが、忘れている部分もありますから、新鮮に聴けたりします。
「ここは今なら変更するな」とか「今はこんな風には書けないなぁ」と。

作曲するという行為は「選択」の連続と言えるのかも知れません。
だから過去の曲を聴くと「今ならこのような選択はしない」「この選択は今も変わらない」などと確認することになります。

今、この曲の改訂と浄書(楽譜の清書)をやっています。
もっとも改訂・・・という程ではなく、細かいアーティキレーションを変更する程度なので、浄書が主です。
当時は浄書用のソフトを入れていなかったので、手書きだったのです。やはりコンピュータに入れてしまった方が後から修正する際など、とても便利なのですが、手書きの楽譜も味がありますね。


2011/05/08  芝桜

Category: 雑記
良く晴れて、まるで初夏のようでした。






2011/05/06  永井荷風

Category: 雑記
今は亡き祖父。亡くなる前、幾らかの期間ですが、ノートに日記を付けていました。
段々と体が弱っていき、ついには日記を記す気力が失われたようで、日を追うごとに字が読みづらくなり、ついには絶筆したノートが残されました。祖父は沢山の本を持っていましたが、その中に、岩波書店から出版されていた永井荷風の断腸亭日乗がありました。形見分け・・・という訳でもないのですが、なんか欲しい本があったら持って行って良いよ・・・ということで私はこの本をもらいました。断腸亭日乗は荷風が死の間際まで書いていた日記です。もしかすると祖父が日記を付けていたのは、荷風の影響もあったのかもしれません。

荷風が生きた時代は、戦争の時代でした。世の中は「進め一億火の玉だ」になっており、戦争に勝つことが国家の最優先事項であり、また国民もそのように思っていました。しかしながら、荷風はそのような世の中の本流からは一線を引いた生き方をしていました。それは例えば小説「墨東綺譚」に描かれているような色恋の世界であり、断腸亭日乗にあるような、世の中を斜め上から眺めたような視点を持った生き方です。そのような生き方はもちろん当時はやり難いものであったでしょうし、危険でもありました。しかし、荷風はそのような全体主義の世の中に負けず、自分の生き方を貫きます。貫いたと言っても、反政府運動をやるような、真正面から戦うという姿勢ではなく、ある種達観して自分は自分のやることをやりきることを貫いたのでしょう。戦ったのであありませんが、自分の描いている世界という理想の炬火を高々と掲げて生きたということにおいては、それはある種の戦いと言っても良いのではないか・・・と思えます。

私は荷風を詳しく語ることが出来るほどの十分な知識はありません。彼の風流であり諧謔を持ち、ある種の古風な面を持つその世界に興味がありますし、あの時代においてそれをやり遂げた荷風にある種の憧れを持ちます。

今日は御徒町で買いたいものがありまして、走って行ってきました。電車でいこうかと思ったのですが、走っていければ楽しいですし、一石二鳥です。移動手段として地下鉄や電車を使うと、駅以外の場所では途中下車することができませんので、それは駅という「点」と接することになります。走るのが面白いのは、走るところ・・・つまり道という線を経て、しかもゆっくり通り過ぎますので、途中にある面白い物と「線」で接することができることです。

春日の伝通院前あたりでしたが、永井荷風の生育地に突然出くわしビックリしました。まぁ、生育地と言っても生家がそのまま残っているわけでもなく、この付近で生まれてしばらく育ったということなのですが・・・。



関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の復興について意見を求められた荷風は


「都市外観の上よりしても東京市には従来の溝渠の外、新に幾條の堀割を開き舟行の便宜あるように致度候。急用の人は電車自動車、にて陸上を行くべく、閑人は舟にて水を行くよう致し候は、おのづから雑たふを避くべき一助とも相成べく候。京都はうつくしき丘陵の都会なれば、此れに対して東京は快活なる運河の美観を有する新都に致したく存候。」


このように述べたといいます。
江戸時代、東京(江戸)は水運の街だったようです。利便性と経済的利益によって電気自動車が幅を効かせるようになってしまったけれど、暇な人は急がなくてもよいので、新たに水路を作って船で移動できるような、そんな美しい街にしてほしい・・・ということです。

その後どうなったでしょうか。日本橋の上にも首都高が通っている現状を見れば、荷風の思い描いた東京市とは反対の方向に来ていることは言うまでもないと思います。

荷風の生まれ育ったこの場所はどんなだったのだろうか?と思いを馳せます。今よりのんびりしていたのは間違いないでしょう。少し行くと神田川がありますので、川を行く船を見て育ったのかもしれません。

よくも悪くも、その時代とはだいぶ違う世界になってしまいました。今の東日本大震災を荷風が見たら、荷風はどんなことを言ってくれるのだろうか・・・、そんなこと考えながら帰ってきました。

2011/05/03  荒川

Category: 雑記
北に進路を取り、荒川まで行きジョギングをしました。



全行程で30km程だったのですが、思ったよりも時間が掛かってしまいました。
後半は完全に失速し、かなりの部分を歩いていました。
右足の膝あたりも若干痛むし、まだまだ走力が足りません。
Category: 音楽
今日は、YAMAHAさんのご好意で、新しいピアノCF4とCF6を弾かせていただきました。場所は銀座ヤマハ店の1階のステージです。
銀座ヤマハ店は最近リニューアルオープンしたのですが、この新しい店舗の1階ステージは吹き抜けになっており、大きな窓から銀座通りがよく見えます。
銀座通りを眺めながらピアノを弾くというのはなかなかない体験でした。

さて、CF4とCF6ですが、CFというアルファベットはヤマハのピアノにとって特別です。一言でいえばCFはコンサート用のピアノです。コンサートピアノというと長さが280cm位ある「フルコンサート」という一番大きなピアノがまず思い浮かびます。コンサートホールにあるピアノはほとんどこの大きさのピアノです。ヤマハはこのピアノにCFという名称を用いてきました。

ヤマハとしては「私たちのピアノといえば、このピアノです」と自信を持って言えるであろう、いわばフラグシップモデルと言っていいでしょう。

では、フルコンサートではない、もう少し小さなタイプのピアノはどうなのかというと、そのようなピアノにはC4とかG6などという名称が用いられてきました。CFという名称は付けられていません。このようなピアノは、コンサートホール向けではない、いわゆる一般向けです。

今回の新しいピアノCF4、CF6をこのように考えてみると、YAMAHAが世に問うコンサートクオリティーのピアノでありかつ、フルコンサートとは違ったもう少し小さめなピアノということになります。恐らくYAMAHAの職人さんが腕によりをかけて、最高の技術をつぎ込んで作っているのだと思います。

値段も今までのものと大きく違います。CF4で1,150万円程、CF6が1,300万円程です。この価格帯は世界的に最もコンサートホールに置かれているピアノ、STEINWAY & SUNSと同じか、いや、むしろそれより若干高いものです。CF6とSTEINWAY & SUNSのB-211モデルは仕様としてはとても近いのですが、CF6が1,300万円程で、B-211が1,200万円程です。もろにかぶっています。これはYAMAHAにとっては大きな挑戦です。

さて、弾いてみて思ったことを徒然なるままに書いてみます。

和音を弾いて複数の音が重なり合ってうねった時の響きが豊かに感じました。この豊かさは今までのYAMAHAではなかったものではないかという気がします。一般に日本のピアノは単音では綺麗な音が鳴るのですが、和音になったときの響きの豊かさや深さという点で少々物足りなさを感じることがありましたが、このピアノはそのような物足りなさを感じることがありませんでした。ごく簡単に言って、ヨーロッパのピアノに近いと思いました。

そして、弾き易いピアノでした。世の中には「扱いにくいな」と感じるピアノがあり、音は良くても、思うように制御するのが難しい「気難しい」ピアノがあります。このピアノはそんなことは全くありませんでした。とても素直だと思います。

また、特にCF6ですが、大きさの割にパワーがありました。低音が思ったとおりに鳴ってくれて、その音に迫力がありました。この迫力というのは一般的にピアノの大きさに比例すると思いますが、CF6の大きさで、しかも新しいピアノなのに、これだけ鳴るというのはなかなかないのではないかという気がします。フルコンサートを弾いているようなスケールを感じました。反面、C5〜C6辺りのメロディー音域の音がもう少し立っていて欲しいです。これは、ピアノの問題というよりも基本的に調整の問題だと思いますし、割とこの音域の音を柔らかくする調律師さんがなぜか多いのでこんなものかもしれません。私の好みでしょう。

ところで、ピアノはきちんと手入れをすれば100年程度弾くことができます。意外と長持ちなのです。そして、一番良くに鳴るのは、大抵の場合作られたばかりではなく、それから何十年も経ってからです。最初鳴りがイマイチだったとしても、弾いていくうちに良くなってくる可能性はありますし、逆もまた然りです(ですから、新品ピアノを買うより、中古ピアノを買うほうがある意味安全だという調律師さんもいます)このピアノがこの後どのように変わっていくのか興味深いです。日本は高温多湿ですから日本にあるヨーロッパのピアノはことさら管理に気を使うと思うのですが、YAMAHAの場合日本の高温多湿をよく知っていますから、日本で弾くということを考えると良い選択かもしれません。

ピアノを弾いていると「このピアノを持って帰りたい」と思うことがあります。

例えば私の場合以前千葉の楽器屋さんで弾いたSTEINWAYのO-180や、群馬のピアノサロンでのFAZIOLI(イタリアのピアノで比較的新しいピアノメーカー)がそうでした。ホールに設置してあるピアノは別格ですが、そう思うことももちろんあります。こういうのは、なにが良かったとか説明できることではない直感的なもので、一種の一目惚れみたいなものだと思います。ピアノの持っている表現の深さ、幅に驚き、ピアノが出してくれる音との対話にスッと入っていけるような、弾いている側にとって思わず音の世界に夢中になって弾き続けてしまう・・・そんなピアノです。

で、今日のYAMAHAがそういう「今すぐ持って帰りたい!」ピアノだったかというと、残念ながらそこまでのインプレッションは受けませんでした。これは直感的なもので、「どこがどうだから」と理路整然と理由を述べることは(私には)出来ませんが、そう思いました。もっとも、もう少し落ち着いて弾ける環境で弾くことが出来れば、印象も変わったかも知れません。細かい音の響きまで聞き分ける環境ではありませんでしたから。

もし私が1,000万超のクラスのピアノを買うとしたら、まずFAZIOLIを探し、併せてSTEINWAYも考えることになると思います。
これは、このYAMAHAのピアノを弾いた後でも変わらないと思います。しかし、上に書いたように、経年変化の問題、気候の問題もあります。もう少し時間が経って、個体を見極めればYAMAHAのピアノも選択肢に入ってくるかも知れません。

いずれにせよ、日本のピアノメーカーからこのような意欲的なピアノが出てきたことはとても嬉しいです。Factory Madeではない、欧米のメーカーと正面から勝負できるピアノとして、今後が楽しみです。
 



サイトトップへ戻る

©2017Kitano Yoshitomo All Rights Reserved