2014/07/31 融け込んでいくような感覚
Category: ラン、トレラン
翌日は無事の御礼も兼ねて御岳山へ登山。

登っている人の中には黄色いTシャツ(大会参加者がもらえるTシャツです)を着ている人も結構います。普通、山ですれ違うときは「こんにちは」とか「お疲れ様」とか声を掛け合います。良い習慣だと思います。
しかし、黄色いTシャツ同士は挨拶がちょっと違います。
「お疲れ様でした!(←これから登るというのに既に過去形。しかし昨日は疲れたね)」
「キロですか?マイルですか?(100kmの部の参加者?それとももしかして100マイルだったりします?)」
「お互いどうかしていますよね(あんた、あれだけ走って翌日登山とか、なんなんですか?あ、私も)」
御嶽山は、信仰を集める霊峰としての偉容を誇っています。
レース中などは遠くに見える山ですが、そんな山にゆっくり楽しみながら登れるのは嬉しいものです。

とはいっても、そこは3,000m超。結構急勾配な所もあります。
疲れているだろう脚も心配でしたがほとんど問題なかったです。まだまだ余力がある感じ。

下山してからの帰り際、ふと森へ続く道があったので、足を踏み入れてみました。川まで下りていく道です。おんたけの渓流は本当に綺麗で、水が澄んでいます。流量も豊富。川を渡る部分は、堤のようになっていて、その上を渡ることができました。
水の音。木の枝が揺れる。鳥の声。光がユラユラと川面に写る。
もう、全てが正しいと思える風景であり音風景でした。
その場に20分くらい立ちつくしていたかと思います。
なにかに圧倒されたとかそういうことではなく、その場の中に馴染んで融け込んでいくような感覚です。全てと同化するような。水や木や空気と同じ立場。

山や森に来るのは、この感覚が欲しいからなのかもしれない。
でも、このような気持ちになれるのは稀なこと。
トレランは動の要素が大きいと思うけれど、この感覚は静。では、いつもゆっくり静かに山に来れば良いかというとそういうものでもなく、この気持ちになれたのは昨日あれだけの力を出し切ったことが大きいかと思います。思えば、昨日の後半は、「自動運転」のような感覚の時がありました。走ろうという意識はなく、「次の足をどこにつくか」それだけを考えて、静かに静かに進んでいました。地面を蹴るのではなく、トントントンと自分の身体を支えているだけで前に進んでいく感覚です。決してケンカをしていない。とても自然に最適化された行為。
動と静。違いはあるけれど、自然に融け込む感覚と、自動運転で山道を進む感覚は近いものがあるようにも思いました。
これは動物的な感覚を取り戻した瞬間だったのかも知れないです。
・・・そんな、まるで神の啓示であるかのような時を過ごして、帰路につきました。

登っている人の中には黄色いTシャツ(大会参加者がもらえるTシャツです)を着ている人も結構います。普通、山ですれ違うときは「こんにちは」とか「お疲れ様」とか声を掛け合います。良い習慣だと思います。
しかし、黄色いTシャツ同士は挨拶がちょっと違います。
「お疲れ様でした!(←これから登るというのに既に過去形。しかし昨日は疲れたね)」
「キロですか?マイルですか?(100kmの部の参加者?それとももしかして100マイルだったりします?)」
「お互いどうかしていますよね(あんた、あれだけ走って翌日登山とか、なんなんですか?あ、私も)」
御嶽山は、信仰を集める霊峰としての偉容を誇っています。
レース中などは遠くに見える山ですが、そんな山にゆっくり楽しみながら登れるのは嬉しいものです。

とはいっても、そこは3,000m超。結構急勾配な所もあります。
疲れているだろう脚も心配でしたがほとんど問題なかったです。まだまだ余力がある感じ。

下山してからの帰り際、ふと森へ続く道があったので、足を踏み入れてみました。川まで下りていく道です。おんたけの渓流は本当に綺麗で、水が澄んでいます。流量も豊富。川を渡る部分は、堤のようになっていて、その上を渡ることができました。
水の音。木の枝が揺れる。鳥の声。光がユラユラと川面に写る。
もう、全てが正しいと思える風景であり音風景でした。
その場に20分くらい立ちつくしていたかと思います。
なにかに圧倒されたとかそういうことではなく、その場の中に馴染んで融け込んでいくような感覚です。全てと同化するような。水や木や空気と同じ立場。

山や森に来るのは、この感覚が欲しいからなのかもしれない。
でも、このような気持ちになれるのは稀なこと。
トレランは動の要素が大きいと思うけれど、この感覚は静。では、いつもゆっくり静かに山に来れば良いかというとそういうものでもなく、この気持ちになれたのは昨日あれだけの力を出し切ったことが大きいかと思います。思えば、昨日の後半は、「自動運転」のような感覚の時がありました。走ろうという意識はなく、「次の足をどこにつくか」それだけを考えて、静かに静かに進んでいました。地面を蹴るのではなく、トントントンと自分の身体を支えているだけで前に進んでいく感覚です。決してケンカをしていない。とても自然に最適化された行為。
動と静。違いはあるけれど、自然に融け込む感覚と、自動運転で山道を進む感覚は近いものがあるようにも思いました。
これは動物的な感覚を取り戻した瞬間だったのかも知れないです。
・・・そんな、まるで神の啓示であるかのような時を過ごして、帰路につきました。