コンポージアム2008の一環として、スティブ・ライヒのトークセッションが5月24日に行われた。
ライヒの2004年の作品、「ユー・アー(ヴァリエーションズ)」を聴き、最後に聴衆からの質問に答えるというもの。
「ユー・アー(ヴァリエーションズ)」を聴くときは、会場後方に譜面を用意してくれて、「専門的にやっている人は、どうぞ譜面を見ながら聴いて下さい」という、とても粋な計らい!譜面の目の前に座ってしまったので、譜めくりをすることになり、とても緊張した。

さて、ライヒの話したことは、質問への答えも含めて、とても興味深かったので、メモできた範囲で書きます。
いくつかの質問をまとめたり、答えの途中でトピックが変わっている場合は質問をつくっています。また、話を録音したわけではなく、あくまでメモ書きなので、言葉がまったくもって不正確なのですが、あくまでニュアンスとして捉えてくれれば幸いです。


【Q】 「ユー・アー(ヴァリエーションズ)」のテキストExplanations come to an end somewhereとは?

【A】 理論はどこかで終わるということ。アイザック・ニュートンの理論もアインシュタインによって、正確ではないことが判ったように、アインシュタインもまた然り。どこかで終わるに違いない。

Explanations come to an end somewhereは「解明はどこかで終わる」と翻訳されていたので、理論や科学や哲学の探求はどこかで「完成する」という意味かと私は思っていたが、どうもライヒの解釈は違っているようだ。新しい理論や考えが出てきて、古い理論は寿命を終える、という意味らしい。実際のところこの方が、過去の経験に即している!「完成する」と考えるのは、恐らく信仰の領域にはいってくると思う。このテキストはヴィトゲンシュタインのものなので、ライヒの解釈の方が恐らく本当のところなのではないだろうか。ヴィトゲンシュタインを良く読まないと分からないだろうが、そうすると、「解明はどこかで終わる」というのは良い訳ではないのかもしれない。

ライヒは若い頃哲学を勉強していて、ヴィトゲンシュタインを研究していた。

【Q】 今も、シーケンサーは使わないのか?電子音楽に距離を置くあなたの態度に変化はないのか?

【A】 今も使いません(笑)コンピュータを使うより、人間がいい。人間がいるのだから。「Mistake is a part of music.」「Mistake is a part of life.」だ。
とはいえ、若い人が私と全く違うことをやって、新しいものを作って欲しい。コンピュータを使うか否かが、新しい音楽の選択肢の一つとも言える。

ライヒは「コンピュータはレコード会社をダメにした」ともいった。これは、恐らくCDが売れなくなった理由をコンピュータに求めているように思える。

面白いのは、「アンプで増幅された音楽は、21世紀のオーケストラ」と言い、「テープ作品を作り」、「コンサートホールに電気を持ち込むこと」には何の抵抗もないライヒが、コンピュータで自動的に演奏される音楽に関して距離を置いていることだ。理由は、上に書いたように「ミスをするのも良いし、人間がいるのだから人間がやればよい」ということのようだ。アンプで増幅することに関して言うと、例えば、ソプラノを使う場合、ライヒが求めているのはオペラのような歌い方ではない。そして、ライヒの音楽は対位法的であるため、大人数でコーラスをするのも違う。すると、音量的に他の楽器には勝てず、結果アンプで増幅することになる。

【Q】 オーケストレーションはいつの時点で考えるのか?

【A】 良い質問だ。曲を作ってから、楽器に割り振るのではなく、最初から(演奏楽器の選定も)考えている。

例えば、18人の音楽家のための音楽は、楽器選定、オーケストレーション自体が絶妙だ。最初の「パルス」でバスクラリネットから弦、ソプラノと受け渡される八分音符は、他の楽器だったら随分と違う響きになるだろう。

【Q】 オーケストラの曲を書かない理由は?

【A】 オーケストラはブラスセクションが巨大化し、それに併せてストリングセクションも負けないように大きくなっていった。そうなると、人数が多すぎて、声部が明確にならない。

ライヒはバッハを引き合いに出し「バッハと私の共通点は、対位法的な作曲家であること」と言っている。

【Q】 「委嘱」と「自分の意思で書く曲」で、気持ちの違いはあるか?

【A】 初めて委嘱されたのは1979年(1978年の誤りか?)の「大アンサンブルの為の音楽」だが、これはあまり良い作品ではなかった。
現在では、最初にアイディアがあり、編成を決めてから委嘱してくれるところを探してくれるよう、エージェントに頼む。

ニューヨークフィルとか、その辺りの名のあるオケからも委嘱の依頼が来ていたようだが、「私には書けない・・・」と断ったらしい。オーケストラの曲を書かない(書けない)というのは、上に書いた理由なのだが、ライヒの言葉では「クオリティーを維持できない」とのこと。普通作曲家は、忙しいとかそういうことでもなければ、このような委嘱を断ることはまずないと思う。委嘱者の希望に合わせて曲を書くし、書けるだろう。それでもライヒの場合、私にはまるで「求道者」のように見えるのだが、彼の方向性がまずあり、そこでベストのものを書ける状態でなければ書かない。

それにしても、書こうとしている曲が決まってから「委嘱先を探す」というのは、なかなか出来ることではない。でも、ライヒの場合「大作曲家だから、仕事を選んでいます。」とかそういう風には全然見えず、彼が言う「作品のため」という言葉には説得力があった。ライヒを現代音楽の作曲家のなかで「甘口」とする向きもあるかもしれないが、この辺りの態度は「妥協を排した」姿勢なのかもしれない。

【Q】 今は何を書いていますか?

【A】 ロックのインストルメンテーション(Electric guitar, Electric Bass, Drumm等か?)で曲を書いている。

25日に行われた、武満徹作曲賞(ライヒが審査員)でもElectric guitarを使った曲が4曲中2曲あった。ライヒがどのような曲を書くのかとても興味がある。

【Q】 アフリカの楽器など、民族音楽の楽器を使って曲を書く気はないのか?

【A】 とにくない。「自分が踏みしめている土地」にいるのが安全。私はジャズのドラマーだったので、その流れでアフリカに行き、アフリカの音楽に出会った。
しかし、アフリカの楽器を使うのは、言葉は悪いが、レイプのようなもの。自分の文化の楽器で書くべき

ライヒは、「日本人には雅楽があるではないか。ガガク・・・言葉の響きからして素晴らしい。」とも言っている。

【Q】 ダンスグループがライヒさんの曲を使用していますが、その感想を聴かせて下さい

【A】 例外を除いてダンサーとコラボレートしたことはない。使用したという報告が来たことはない。だから、良く分からない。

残念ながら、司会進行の白石さんが、指名してくださらなかったので、質問できなかったのだった・・・涙。聞きたいことは山ほどある。
以下、私が聞きたかったこと。

【Q】自分の曲で好きな曲一般的に「18人の音楽家のための音楽」が代表作とみなされているが、ライヒ自身としてはどうなのだろうか?「大アンサンブルのための音楽」をあまり気に入っていないというのを聞けたのは興味深いが、同じように「良いと思っている曲」「良くないと思っている曲」を知りたい。

【Q】フェーズを使わない理由
ピアノ・フェーズなどで使っていた「フェーズのテクニック」を近作では全く使っていない。私は、それは「演奏が困難だから」と解釈しているが、それは正しいか?

【Q】普段の生活
何時に起きて、何時に寝て、何時から何時まで作曲して、なにを食べているのか、教えて欲しい(笑)。
村上春樹は朝4時頃起きて、午前中だけ執筆するらしい。ライヒがどのような「生活に対する態度」を持っているのか、とても興味がある。

【Q】「18人の音楽家の為の音楽」の頃、ミュージシャンにギャランティーを支払っていたのか?(笑)
当時どのように活動していたのだろうか?最初の委嘱は1978年らしいので、そうすると、18人の時は、大変だったのだろうと思う。ライヒは昔、ニューヨークで「タクシーの運転手」をしていたそうだが、本当だろうか?18人が練習する場所を確保するのも大変だったと思う。ピアノが4台も必要だ。どのように活動していたのか、実務的な面を知りたい。