例えば藤倉大さんという作曲家がいて、日本の若手の現代音楽家の中では最も注目されている作曲家じゃないかと思うのだけど、果たして一般の人でどれほどの人が彼を知っているのか?少なくともCDが数万枚売れたという話は聞かない。私も10年程前に彼の曲をとあるコンクールで知って興味を持ったのだが、未だにCDも楽譜も持っていない。世に出ていないはずはないのだけれど、なんというか大きくは話題になっていないこともあり、実際に手に入れる機会がなんとなくないのだ。不勉強だと言われてしまえばそのとおりだけど。

翻って今話題の佐村河内さんだけど、彼のほうがよほど一般の知名度はあったと思う。私もCDを買おうとまでは思わなかったが、「そんなに皆が良いというなら借りて聞いてみようかな?」と図書館で予約して早一年以上(すっかり忘れていた)私の前に予約が50件だかそれ以上入っていて未だに順番待ち。佐村河内氏はそれほどまでに注目されていたのか?

なぜだろう?
もちろん曲が良かったのかもしれない(私は聞いていないので分からないけれど)
しかし、恐らくそこにはストーリーがあったからというのが大いに有り得そうだ。
重い障害を負っているにもかかわらず、彼は苦難を乗り越えて交響曲を書き上げた。その交響曲が多くの人を感動させている!
と。

そのストーリーがどうやらフェイクだったことが判明して今大きな問題になっている。

しかし私は世間に聞きたい。
「いや、皆さんフェイクを楽しんでいたのではないか?」と。

卑近な例だけど、この前「台本のない・・・」とかなんとかテロップ付きで、男女の恋の駆け引きみたいなものをテレビでやっているのを見た。以前やっていた「あいのり」・・・でしたっけ?そんな感じの番組です。よく分からないけれど、少なくともカメラのフレームもバッチリ、ライトもバッチリで、かなり計算された「絵」で男女の(リアルに見せている)会話が展開されていた。それを一緒に見ていたNHK関連のADをやっている若い青年が「これは多分台本がありますよ」と一言。テレビ業界のウラ側は知らないけれど、画面を見る限り彼の意見に同意せざるを得ない。もうこちらとしてはそういう嘘くさいものを見せられている時点で十分にシラケているのだけれど、こういう番組があるということは楽しんでいる人は結構いるのでは?と思う。皆さんフェイクがお好きなのでは?

佐村河内氏はロック畑の出身だと聞いたけれど、それならビジュアル系バンドが自分の化粧をしてアーティストとしての虚像を創り上げるのとそれほど変らない気持ちでフェイクを積み上げていたのでは・・・などと考えてしまう。

現代は、広報、宣伝が大変な時代なのだろうかね。
情報過多。右から左から上から下からビットが通りすぎていく。
なにか大衆の琴線に触れるストーリーがないと注目されないのだろうかね?
そこには何がしかのフェイクが必要なのか?

音が全てでいいじゃん。自分の好きな音を聴こうよ。と音楽をやっている人間として思う。
音よりもフェイクが消費されているとしたら、悲しいことだ。詰まらないことだ。
と思う。

それにしても、なによりこの一連の騒動も実はフェイクで・・・などと思わず想像してしまう。現実的にこの騒動も一つのエンターテインメントとして「消費」されているのではないかという気がする。

そこにはもはや音楽はないだろう。単なる毀誉褒貶。
皆がワーワーギャーギャー騒ぎ立てるだけのエンターテインメントなのではないか。