パソコンという言葉が世の中に広まった頃からAppleという会社はあったので、Appleの製品の存在は昔からよく知っていました。
古くはAppleⅡというパソコンがあり、その後は今に続くMacintoshなどが生まれたのですが、それらは常に先進的でスタイリッシュなコンピュータというイメージでした。ただ残念ながら高価でした。とても魅力的だけれど、手が出ない・・・。

その後、WindowsOSが搭載されたDOS/V機の時代になり、Macintoshが持っていたルックアンドフィールが一般的なものになり、しかもWindowsパソコンというのは相対的に安価でしたので、世の中に広まり私もそれに倣っていました。「別にMacじゃなくてもいいよね。WindowsもMacと大差ないし」と。うん。それでいいと思います。OSと筐体が分離されていて、ユーザは好きなメーカーの好きなパソコン(もし望むならパーツを組み合わせて自作することも出来ます)を選べます。自由度が高いことは素晴らしい・・・。

そんな感じで月日は流れ、長いことApple製品を使うことなく過ごしておりました。

しかしながら、どうしてもiPhoneという電話(というかデジタルデバイス)からは惹きつけられるものを感じておりました。画面にタッチして、スワイプすることで画面を移動できる操作方法。これに代表されるユーザインタフェースもそうですが、触った感じの心地良さ、小気味良さなど、今まで使ったことのないなにかを、感覚としてですが感じました。特にiPhone4で高解像度のRetinaディスプレイが搭載され、そのキメの細かい画面を見て「これは購入決定・・・!」2010年の秋のことです。

長いこと、Appleの熱狂的なファンを見るにつけ「ふ〜〜ん」と思っておりました。「一体全体、あなたたち、これはそんなに騒ぐほどのことですかねー」と。
かくして、私もブログでこんなことを書いている以上彼らの仲間入りを果たしてしまったのかも知れません。

iPhone4の使いやすさに感動した後は、MacBookAirでノートブックコンピュータのイメージがガラっと入れ替わり、先ごろ発売されたiPadは発表と同時に予約購入するまでに至っています。うーん。

一つ思ったこと。それは、今までなにかを購入する時に「スペック」で選んでいたのだな・・・という反省です。
パソコンだったら、「CPUはこのくらいの速さ」「メモリはこれだけ大きく」「値段はこのくらい」・・・「これならお買い得だ。購入しよう!」という、購買行動です。
でも使いやすさや、自分の生活にどのように作用する(有益になる)かということは、決してスペックではわからない部分です。スペック表には決して現れない、そしてとても重要な部分かと思います。
Appleは目先のスペックはさておき、このある意味本質的な部分をずーーっと追求していて、それでいまのブランド(信用)を築き上げたのだなぁ、とそう思います。

恐らく・・・なのですが、Appleの製品には「人との距離の近さ」みたいなものがあって、これは大量生産大量消費が始まる前にはどんなプロダクトも持っていたものじゃないかなと想像しています。例えば、職人が作った道具。職人は使う人が実際に使っているところを見て、感じて作る・・・みたいな。コンピュータは新しいものかも知れないけれど、この価値感自体は決して新しいものではないと思うのです。どこかに忘れてきてしまったものをAppleは現代でも持ち続けている・・・そんな気がしています。